葛飾見聞録・・・・地元「お花茶屋」の由来
葛飾見聞録
「お花さん」って だれ?
京成線って知ってますか? 東京の上野と成田空港を結ぶ私鉄です。
東京には地下鉄を含め、私鉄は数々ありますがイマイチ地味な路線です。
そんな路線ですから、「お花茶屋」駅の名前を知っているのは、地元にお住 まいの方か成田空港から飛行機に乗る旅人ぐらいでしょう。
「お花茶屋?」「三茶」の間違いじゃないの・・・なんて言われかねません。
そんなマイナーな京成線ですが、興味ある人はウィキペディアで調べてみてください。
とにかく、始発の上野駅から、普通電車に乗車してみてください。
間違っても、急行や特急、ましてや、スカイライナーなんてダメですよ。
間違いなく、通過してしまいますから・・・・
でも、「お花茶屋」という名前には、それなりのいわれがあるのです。
「お花さん」って、だ~れ? その由来は、今から400年以上も前の江戸時代に
遡ります。
1603年征夷大将軍となった、徳川家康が江戸に都を築いたことから始まります。
「鷹狩り」の好きだった家康は、このあたり、つまり、今の葛飾区・墨田区・江戸川区あたりが「葛西」と呼ばれていたころ。このあたりは、沼地や湿地の多い低地で、当時は、今のような地球温暖化の時代でもなかったので、何と、鶴や白鳥や鴈などがなどが渡ってきていて、恰好の狩猟場であったそうです。
だから、今でも地名に「白鳥」が残っているほどなんです。
と同時に、将軍のお狩場となったこの地には、お休み処や御殿とよばれる宿泊所などが用意されたのですが、それは、地元に暮らす人々には大変な負担でした。
2代将軍秀忠あたりから、その「鷹狩り」もあまり行われなくなっていたのですが、
八代将軍 吉宗の時代。 そう、まさに「暴れん坊将軍」が復活しちゃったんです。